3月11日

3月11日です、震災の日からもう一年が経とうとしています。ここ最近はすっかり blog からも遠ざかる日々が続いていますが。何か書こうとすると暗い話やなんかばかりになりそうだったのでなかなか書けなかったのですが、もう一年になるので何か書いて見ようと思いました。実際明るい話題は少ないのですが、事実なのでしょうがないかとも思いますしね。

私が以前住んでいたところは福島県の南相馬市と言うところでして、一年前の震災当時はすでに実家を離れていてアパート住まいをしていたために私および家族は津波に巻き込まれることもなかったのですが、以前住んでいた家はすっかり津波に流されてもう何にもなくなってしまいました。

南相馬市と言うところは、ちょっと微妙な位置にありまして福島原発からの距離が20キロメートルから40キロメートル位の範囲にあります。したがって南相馬市の原発側の地区は警戒区域に指定されて住んでいた人たちは全員避難です。南相馬市の中心区域である原町区も避難準備区域とされていて、「避難しなさい」と国から言われているわけではありませんが、自主的に避難していった人たちや、市が主導してバス等で集団避難していった人たち、残っていた人たち。とバラバラなのですね。

南相馬市の北側に位置するのが相馬市でして私は今ここで仕事をしています。さらに相馬市の北には新地町と言うところがあって、ここにいま住んで居ます。

ちなみにこの北側はもう宮城県なので、ここが福島県の海に面した地域ではいちばん北側の端と言うことになりますね。

このあたりは震災以前からまあ、いって見れば結構な田舎でしてあまり景気も良くなかったところに持ってきてあの震災。さらには原発事故ともうなんて言っていいか。とどめを刺されたような感じが個人的にはしています。

世間では復興の掛け声も高いですが、全然まだまだでむしろどんどん悪くなってるような感じさえします。何と言っても仕事が無いですもんね。

私も昨年末に転職いたしましたが、恥ずかしながら食べていくのがやっとで、日々の食費にも事欠く有り様。まあ、そういうときに備えてしっかり蓄えをしていくのが立派な社会人だと言われてしまえば、返す言葉もなく情けないものなのですが。

震災で直接被害に遭われた方や、原発事故で自宅に帰りたくても帰れない人々がいる中で直接的な被害の無かった私のようなものが文句を言うのはなんか恥ずかしいような気もしてしまうのですが。でも実際私自身が見聞きしている中では私のような人たちも相当居る模様でして、おそらくはこれからさらに状況は悪くなっていくばかりだと思われ、なんとも暗くなってしまうのですけれども。

やはり、原発事故の影響はじわじわと大きなものがありまして。津波による被害はもちろん甚大でありますが、もし放射能の陰りがなかったのならばいまごろは復興自体はそれほど進んでいなかったとしても前に進もうとするそういう力はもっとあったと思うのですね。

漁業は全然出来ませんしね、もちろん農業も。色々な工場でさえ閉鎖されちゃうし。そんな景気だからサービス業だってねえ。

なんか書くのも久しぶりだし長々となりそうなので、まあ。これからぼちぼち書いて行くことにしています。

あ、いちばん良いことはね私はちゃんと生きてるって事かな。

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この記事を書いた人

もとメンエス店長、今は別な仕事になりました。
ぽちぽち書きます。

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