私はこの「ファイトクラブ」完全に誤解していました。最も今回始めて見たのですが、予告編や何かを見て「少しダークなアクション物」かと思っていたのです。何といったら良いのか、結構衝撃を受けてます。
作中に「サイコ野郎」と言う言葉が出てきますが、確かにサイコか?と言う気もします。誰でももってるはずの日常に対する不満、常識という物への反感、そういった物がいっさい取り払われたとしたら、こういう事もあり得るのか?
衝撃を受けるには、おそらく私の中にも同質の物もどこかに潜んでいるのでは無いのか?
意識の多様性というのは、おそらく誰でも持っている物だと思うのですが、普通ならやはり、日常、常識と言う物に囚われて、結果として生まれる物はごく普通の人物像なのだと、それがこの世界を埋め尽くしているのだと、もしそれを逸脱してしまう事の出来た人間がいたら、それに同調してしまう人間がいたら、このような世界になりうるのだろうかと、それが心配なのか希望なのか、それもいま見終わった私にはうつろに感じられてしまいます。
そもそも、始まりからして、普通じゃない感覚を感じます。普通の人間の普通の生活が描かれるのですが、裏にある物がそこここに感じられます。
異質な存在として現れたブラット・ピット演ずる「タイラー」、かれはあらゆる面から見て、異質で知略にたけ、暴力を肯定する人間です。反面エドワード・ノートン演ずる「ジャック」はごく普通のサラリーマン、しかしその内面には現実を否定してしまいたい欲求がありふれているのでしょう。そのそうな人間は自分を含めてだいぶいるのでは無いか、あるいはすべての人間が?
いろんな方のレビューを観るとラストの持って行き方に不満な方が多いようですが、私はそうは思いません。もう一人の自分が世界を変えてしまった後にはどのような世界が待っているのでしょうか?その世界に自分は満足できるのでしょうか?もう一人の自分はもう出てこないのでしょうか?
私はあの終わり方に肯定的な意見を持っています。あそこまで行ってしまったら、あの終わり方は必然とも言えるのでは無いでしょうか?
見終わった後に微妙な感動を残して奇妙な感覚の中にいるようです。
ファイト・クラブ 価格:¥ 995(税込) 発売日:2005-10-28 |
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