家族とは一体なんでしょうか?、と代わり映えのしないおんなじ様な出だしで始まってしまうのですが、最近わが家ではこのような命題の答えの無い問いが非常に重要な問題の一つになってしまっているのです。
他の家の内情を無制限に覗く事は出来ないのですが、最近のニュースあるいはテレビなどを見ていると、このような問題は何もわが家だけでは無く全国的に、あるいは全世界的に問題になっているのだなあと感じざるを得ません、曰く家族と言うのは社会を構成する最小単位である。家族とは子孫を残すために人間が考え出した最も効率的な組織である。と、色々な考えはあるのだと思うのですが、現在は昔から続いてきた日本独自の「家族制度」が崩れ始め、新しい形態へと変貌を始めているのでは無いかなと思っています。良く若い世代がどうもよろしくない、と言う議論がよくあるのですが、良くない兆候が現れ始めた世代、これはとりもなおさず古い世代がすでに変化していると言う事を表していると思うのです。
現在はかつてない程の急激な変化に人間はさらされています。変化が生じるのはある意味しょうがない事ではあるのだと思うのですが、良い方へ変化して行くのならばそれもまた良し、ではあるのですがどちらかと言うと悪い方へ悪い方へと変化して行っているような気がしてなりません。
若い世代がおかしい、これはすでにその親の世代がおかしく変化していると言う事、と言う事はそれに気付いた時にはすでにそのことを修正するのが困難になっていると言う事でもあるのでは無いでしょうか。ある意味若い人間は変化への対応が柔軟な傾向がある一方で、古い世代は変化その物を嫌う事が多い、価値観が固定されている事が多いので新しい価値観を受け入れるのが非常に困難だ、と言う事があるからです。
もしかすると日本における近代と言うのは、海外から流れ込んできた異質の文化を受け入れる事から始まったと言えるのでは無いのでしょうか?、それは第2次世界大戦の終わりによって最大になったように思います。西欧の文化、それには素晴らしい物もたくさんあったのでしょうが、元々の日本の文化と上手く溶け込めずに歪んだままの物もたくさんあるように思います。それをもろに影響を受けたのが私たちの親の世代だろうと思うのです。
自分に都合の良い所だけ受け入れ、都合の悪い所は無視する、このようにして歪みは大きくなって行き、戦後の大経済成長においてもっとも大きく歪んだのでは無いかと感じられます。あくまでも希望としてなのですが、良い所は存分に取り入れ、良くない所は十分気をつけて受け入れるようなら今の日本はずいぶん変わった物になっただろうと思うと少し残念です。ただ日本は敗戦国として、受け入れざるを得なかっただろう事が相当あっただろう事は、十分推測出来ます。私にとっても今の状態から、あるいは昔の人たちの言う事などから感じるしかないので、あくまでも「私にとって」の考えである事は明記しておきます。
昨年ちょっとした事から、私は家を新築する事になりました。ちょっとした事とはいってもたいした高給取りでも無い私です。それなりに考え、家族がぜいたくは出来なくとも幸せに生活出来るように家族の入れ物として作ったつもりでしたが、残念ながら親の世代にとってはあまり気に入る物では無かったようです。私としてはその時点での「家族」と言う物を十分考えての事だったのですが、結果としては不本意な結果になってしまいました。
従来から家と言う物は「家族」の入れ物として機能してきたと思うのですが、肝心の中身がダメではいくら入れ物が良くても、何にもならない物のようです、子供の世代には子供の世代の、親の世代には親の世代の理屈と言うのはある物なのでしょう。いくら子供として親のため、と色々考えてもあまり良い事にはならなかったようです。残念ですが事実の前には何を言って見てもしょうがない事のようです。
もし家族の一員が、家族の事を考えずに自分の事だけ、しかも家族の迷惑も何も考えないとしたら、すでにその人は家族とはいえなくなってしまうのでは無いでしょうか?、もちろんいろんな理由はあるのですが、私は家族では無い人間を家において置く事は出来ないと判断し、実行しました。そのことの善悪はともかく、ある意味ではそう判断せざるを得ないほどのプレッシャーを受けていたと言うことも出来ます。家族とはいっても人間の集まりですから、当然すべてうまくいくと期待しているわけでは無いのですが、それでも残念なのが変わるわけではありませんでした。
少子高齢化の危機が叫ばれて久しいのですが、人々がなにか忘れているのでは無いかと言う考えがこびりついて離れません。今世界は変化のただ中にいるのです、しかも向かって行く先はあんまり良い物では無いようです。どうして世界は良い方へとは向かわないのでしょうか?、一人一人が良い方へと変化して行かない限り、それは無理なのでしょう。誰もが自分の事だけ考えていては、決して良くはならないのだと言う事が、非常に残念でも有り、事実なのだろうと思います。
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