3001年終局への旅 A.C.クラーク

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映画版「2001年」では、テーマ曲として?「ツァラトゥストラはかく語りき」が使われた事もあり、このシリーズ全体として「神」を意識させられてしまうのですけれど、高次の生命体のシンボルとして、黒い立方体「モノリス」が重要な意味を持っていると思うのですが、終局への旅、と言うだけあって、最後には神を殺してしまうと言う事なのでしょうか?。

ネタバレ注意、
クラーク氏の小説には良く出てくるプロットとして、あまりにも高度であるために「神」として考えてしまう以外に無い、と言うような生命体あるいは意識体があると思うのですけれど。

モノリスに取り込まれた「ボーマン船長」と「HAL9000」、2者を通してモノリスが必ずしも人間にとって「良い」ことを成すとは限らない事を人間は知ります。「ボーマン船長」はコンピュータであった「HAL9000」を通じてモノリスもある種のコンピュータとしての機会である事を知り、モノリス自体に意識は無い事、時々通信を受けて人類や他の生命体に対する「工作」の方向性が変る事を知り、人類へ警鐘を鳴らすのです。

人類はモノリスを破壊する事を決定し、「ボーマン船長」経由でモノリスへウィルスを注入する事でエウロパのモノリスを破壊する事に成功してしまいます。同時に月にあった「TMA-1」、地球で発見された「TMA-0」も同時に姿を消してしまうのです。

ツァラトゥストラはなんと言ったのか?「神は死んだ」。では無かったでしょうか?。「2001年」のみを見ていた時には、死んでしまった「神」のかわりとしてモノリスの存在があったのかと思っていたのでしたが、「終局への旅」を読み終えると、結局神を殺したのは人だったのかも知れない、そういう気がします。

人類の他にも宇宙には意識を持つ生命体がいて、太陽よりも古い恒星があるように人類よりもはるかに古くて、高次の意識を持つ生命体がいたとしたら…。

クラークのテーマとしてはこういう事なのでしょうね。

今回「2010年」を手に入れた事で、「2061年」、「3001年」と続けて読んで見たのですが、昔バラバラに読んだ時よりも違うイメージで読めたような気がします。本当なら「2001年」をいちばん始めに読まないといけないのですが、わけがあって「宇宙のランデブー」を読み始めてしまいました。

少し疑問に思う事があったからですが、それは読んで確かめて見たいと思います。

クラーク氏が亡くなってしまった今読むと、本当に「終局」になってしまった事を少し寂しく思いながら…。

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この記事を書いた人

もとメンエス店長、今は別な仕事になりました。
ぽちぽち書きます。

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