最近はちょっと判断のつきにくい事が非常に多いように思います。いわゆるメディアによる世論操作、これは良く耳にする物ではあるし、実際に自分自身その報道の偏りに憤慨する事も多い、しかしその気になればニュースソースは一つだけでは無く、色々なソースを突き合わせて見れば本当の真実が自然と浮かび上がってくる事が多いと思わずにはいられないのです。
長文注意
しかし、最終的に何のために世論操作をするのかというと、それは企業利益のためでもあるが、視聴者が望むからでもあります、こうなってくると話は途端に難しくなってきます、例えばメディアが世論操作する原因に企業による広告収入がありますが、企業が広告を出すにはみんなが見る事の多いメディアに出すべきだと考えるのは自然な事です。その方がみんなにみてもらえる確率が高くなり広告の効率が上がるからであり、おんなじ広告なら、よりみてもらえるメディアの方が広告費は高くてもつり合うようになり、同じメディアだとしても、みんながみる事の多い時間帯の方が、やはり企業にとっては価値があるということになるからです。
テレビに関して言えば、いわゆるワイドショーや、あまつさえニュース番組までもが視聴率を稼ぐために一生懸命になる訳です。しかし、視聴率を稼ぐためには、視聴者に見てもらえなくてはいけない訳で、結果視聴者の意向が番組内容に影響を与えてしまう訳です。
大部分の視聴者は面白おかしく話題にできる番組を好み、それに飽きたらまた別の話題を探すのであって、本当に公平な番組、ニュースを作るのは至難の業だと思わずにはいられません。仮に本当に公平な番組、良質な番組を作っても、誰も見ずスポンサーが付かねば番組を作る事は不可能になってしまうからです。
一般視聴者にとっても長い目で見ればそういう番組の方が自分にとっても良い事であるはずなのに、そういう目で見る人はほんの一握りで、一部の良識、あるいは判断力を持った人の意見は無視されるのが残念ながら一般的であるように見えます。
それに対応するものとして、インターネットと言う物があると思われていた事もあります、web 上の世界は混沌として、玉石混交。正しい情報もあれば、間違った情報もあり、全く違ったニュースソースが散乱しており、正しい情報を判断するためには、いろんな情報を突き合わせ自分で判断する必要がありました。その結果としてある程度の正当性のレベルが保たれている状態であると考えていました。
「2ちゃんねる」なども無駄な部分が多い、フレームが多く読むに堪えない言葉が不快だ、など批判する人は多いですが、あれこそ、現実世界そのものだという気が私はしています。無駄な部分が多いからこそ、真実を読む力も付いてくると私は思うのですが、まあさすがに記事が膨大過ぎて現実的に読む事だけでも大変、と言うのが本当の所ですが。
ネット上はいわゆる現実世界とは違いますが、作っているのは現実の人間である以上、混沌とはしていてもそれは現実世界を反映した物にならざるを得ないのです。ネット上でも「世論」に相当する物はあり。うまくいけば世界を正しい方向に向かわせる力があると、みんな(じゃないかな?)思っていたのです、実際以前なら考えられない力を個人が持つ事もあり。例えば一連のメーカクレーム問題などで個人に対して大メーカー側が謝罪する事も起きるなど、ネットの力は大きいと喜びを持って感じた人は多かったと思います。
しかし、最近の動向をみると、必ずしもそうは言えない部分が多くなってきたように思います。いわゆるインターネットの世界も、(出自は軍事用ネットワーク研究であったとしても)以前は「自由」を尊ぶ精神が多数を占めていたように思うのですが、最近は実世界と同じく、力による世論の偏り、情報操作と思われ兼ねない事態の頻発などが目に付き、一昔前のようにインターネットは既存メディアに対する対抗する物では無くなり。単に一つのメディアとしての存在になりつつあるように思えてなりません。
それはインターネットとは言え資本主義的に動かざるを得ない事。インターネット上へ大量に人々が流入し始めた事。現実世界における大資本の勾配がネット上でも同じような状況を作りつつある事。などが上げられるように思います。
最近気になっているのは、いわゆる「グーグル八分」問題です。web 上の世界はあまりにも大きくなり始め、web 上のリンクをたどって歩く「web サーフィン」などは現実には不可能になりつつあるからです。そのため「検索サイト」が大きいウェイトを占めるようになってきました。日本では「Yahoo」、「goo」、「infoseek」、などその時々によって人気のある検索サイトは変わってきたのですが、やはりあまりにも web の世界は広く、あまりにも情報量が多いため、膨大な検索結果を前に呆然とする事も多くなってきました。その中で自分が見つけたい検索結果(に近い物)を表示するように作られた「ページランク」と言う仕組みで、多くの利用者を獲得しているのが「Google」です。
その検索結果に満足する人が増え、今では圧倒的なシェアを獲得するに至りました。いまでは「ググって見て」無い物は、この世に存在しないのだ。と言う人まで存在するなど、その影響力は絶大といっても良いかと思います。しかしそんな中で、出てきたのが「グーグル八分」問題です。現実に web 上に存在するにもかかわらず、検索に出てこない web サイトが存在するのです、中には違法なサイトであるために検索結果に出てこないサイトも存在するのですが、ある個人が意図的に操作し、Google の検索結果に表示されないようにできる、と言う事があったのです。今では Google 側でもある程度対処されているようですが、それにもかかわらず法律的な問題で、合法であるか非合法であるか分からないのに、検索結果から削除される物、理由は分からないが、とにかく検索結果に表示されない物が存在するのは、間違いない事のようです。
複数の検索サイトが有り、どれも同じようなシェアをもっているのならばそれほどの問題にはならないと思うのですが。なまじ Google が圧倒的なシェアをもっているためにその問題も無視できないものとなっています。「ググって」見たが出てこない。だからそんなサイトは存在しないのだ。と思う人が出てきてしまうからです。
さらにはこの事実が、web 上とは言え昔のように「自由」で無くなる可能性を気付かせてしまったのです。事実国家単位でインターネット上を検閲している中国のような国もありますし、中国に進出したいがために Google のみでは無いですが、あえて検閲を受け入れて中国内に進出した検索サイトもあります。
ここが難しい所です、たとえ日本であっても、「本当に」完全に中立な検索サイトは存在できるのでしょうか?法律上の問題から、検索結果を表示する事が法律違反になる可能性もありますし、違法な web サイトが上位に表示され、被害を被る人が増大するような事態も考えられます。
この一連の上に書いた問題に対して、今の私にはどうすればよいのかの判断がつかないのです。事実私が正しいと思った事が、本当に正しいという保証はありません。私はできるだけ中立でいたいといつも考えてはいますが、それでも自分自身の嗜好が、この blog にも反映されていると思うからです。
実際本当の解決方法は、人々が「考える事を憶える事」意外には無い、と思うのですが、これは「本当に」難しい事でしょう。過去に起こった事などを見ても、これはおそらく不可能では無いかと思うのです。ほとんどの人は面白ければ良いのであって、それが正しい事かどうか考える事ができる人は、残念ながら非常に少ないと思います。それでもなお私はいつかそんな日が来る事を願ってやみません。願わくばインターネットがその初期に果たした役割のように「自由」を取り戻してくれる役割を果たしてくれれば嬉しいのですが。
付記:この文章は下記の方々のおかげでここしばらく頭の中で考えた物を文章化した物です、表題の通り自分の頭の中でさえ、整理が完全についている事はまだありません。いつかその答えが見つかればよいのですが、見つからないまでも考え続けて行く事だろうとは思っています。考える事になったきっかけを与えてくれた事に感謝しています。
「メディアの本質 その1」
「メディアの本質 その2」
「メディアの本質 その3」
コメント
コメント一覧 (1件)
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こんにちはー。
コメントやエントリへのリンクありがとうございました!
最近いろんなニュースなどを見るにつけ、なんかいろんな事を考えてしまいます。
リンクしていただいているので、どうかなと思いましたが、一応トラックバックさせていただきました。
必要がなければ、削除していただいてかまいません。
これからもよろしくお願いします。