はずみとはおっかない物ですね、先日篠房六郎の「ナツノクモ」最新巻が出ていないかと Amazon を覗いていたら「篠房六郎短編集」と「空談師」を購入してしまいました、しかも中古で。どうせ送料無料になるんだから新品購入すれば良かったと少し後悔しました。
「ナツノクモ」で始めて彼の作品を読んで結構のめり込んでしまったのですよね、ですから篠房氏の作品に飢えていた、と言う事は出来るかと思います。
彼の作品と言うのは不思議な魅力があってついのめり込んでしまうんですよね、物語の進みかた、構築が少し難解な所も有り前に戻って読み直したりするのですが、普通なら嫌気がさしたりするもんですがそういう事も無く、それが彼の個性なのだ。そういう気分になってしまいます。
4篇の話が収められていまして、いずれも秀逸なのですが、後半2篇は「空談師」前後編になっていまして、単独で出ている空談師(全3巻)のベースになったと思われる作品が収録されています(空談師本編はまだ読んでいないのです)。
「ナツノクモ」もそうなのですが、架空のネットワークゲームが舞台になっていて、ネットを隔ててかかわり合う「人」の描き方が良い感じなのですよね、画も独特の迫力があると言うか、ビビッドと言うかストーリーと相まってまさしく彼独自の世界を作り上げているのですね。
ネット上の人格、例えば私のこの blog 、私としては乱雑にその時々の単純に思った事を書き散らしていて文章も下手なのですが、そういった物全てで持って、例えば他人が見た場合に想定する「私」と言う存在があるんでは無いかと思うんですよね。
それって下手をすると自分自身が思っているよりも「私」と言う物を表してしまっている場合があるんじゃないかと思う時があるのです。自分自身の事は見えないですからね。
将来ネットワークや個人におけるコンピュータ環境がもっと高性能になって行った時に「空談師」や「ナツノクモ」の様な事はじゅうぶん起こり得ると思ってしまうんですよ。ネットワークが高速大容量になって行ったら新しいプロトコルやなんかが開発されて、ある種感情なんかも転送できるようになり、インターフェースもより人間に近い部分でダイレクトに接続できたら…。
ネットワーク上の仮想の世界だからこそ現れてくる人間の根本的な部分、知らない誰かだからこそ表せる自分自身。そういうのもあるんじゃないでしょうか?。
そんな人間の奥底の部分を恥ずかしげも無く描き切って見せる、そんな作品なのだと思います。
「空談師」本編、全3巻はこれから読むので楽しみです。
篠房六郎短編集 価格:¥ 540(税込) 発売日:2002-10-23 |
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