慣れない取説を読んで、何しろ Mac というのはマニュアルを読まなくてもどうにかなるところがあって、マニュアルなんて読まなくなっている癖がついていたものですから。でも、ATOK は今までのソフトとは結構違うので、読まずにはいられなかったのです。
入力途中の補間のやり方も少し覚えてきて、でもこれは最近やっと使えるようになってきたブラインドタッチのおかげもあるかもと思い始めています。
私はブラインドタッチをきちんと学んだことがないので、あくまで独流です。だからいつまでたってもきちんとブラインドタッチができないのだと思います。
せっかくの機会なので、これを機にブラインドタッチをものにできればすばらしいのですけれどね。現在のところ変換効率は非常にいいです。EGBRIDGUniversal の時にはどうしても変換候補に現れないので、口語を EGBRIDGE に合わせてしまうときもありましたが、今のところ ATOK ではそういう目には遭ってません。
EGBRIDGE はネットワーク越しにどこかのサーバと通信してるような感じがあって、それで変換の具合を調整していたのではないかと思われる節があって、だから。開発が終了したとき、もしくはサポートが終了したときにサーバの運営も終了し、だからだんだん馬鹿になってしまったのではないか?。そんな疑問もあります。
もちろん普段の私の変換の仕方がおかしくて、おかしな学習をしてしまったのではないか、そういう考えも捨てきれません。
じつは ATOK には以前にもお世話になったことがあって、それは Windows を使っていたときでした。購入したパソコンについてきたのです。Windows 3.x の時には WXII+ WIN を使っていたので、というか Windows 以前、DOS 時代はずっと WXII+ のお世話になっていました。
今から考えると、すごくシンプルな FEP でしたけれども豊富なユーティリティーのおかげもあってけっこう不自由なく使っていました。
当時の仮名漢字変換はそれほどの精度はなくて、長文を一気に変換するのは苦手でした、だから長文を一気に変換することが可能になった今でもなかなか癖は抜けません。
EGBRIDGE のときには IME のおかげで文章そのものを変更するときもありました。それは私が間違った文章を綴っていたからかもしれないのですが、ATOK にはそのようなところは今のところ感じられません。自由に自分自身の文章を綴れるということは、よいことだと思う反面。もしかしたら間違った文章を書いているかもしれないという不安が少しあります(^^)。
スタイルをことえりに変更したせいと、一部キーアサイン(1カ所だけですよ)を変更したおかげでだいぶん慣れてきました。
昔はいろいろな IME(FEP)があったものですけれど、Windows はわからないですが、Mac では社外の IME は ATOK だけになってしまいました。寂しい限りですね。コンピュータにさわる人々は少なくなったとは思えないので、文字入力に対するこだわりが少なくなってきているのでしょうか?。
選択肢が ATOK しかないというのは(もちろんことえりでもいいのですけれど)何となく不健全な気がする今日この頃でした。
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