Re:可能性について

基本的に可能性というのは無限であると思いたいのですが、現実に埋もれているとなかなか自由には行動出来ない事もあって、選択肢は限られてしまう事が多々あります。例えば仕事です、私の場合昔の自分が好きになれずに、二十歳の頃から自分の向かった方向へと前進し続けては来たつもりです。それまではひたすらに現実から目を背けて、自然と楽な方へと流される毎日で埋めてきたように思います。
私の場合そこから抜け出す一つの方法論として「仕事」があったのです、良くも悪くも「仕事だ」と言う事実に引っ掛かりを作って落っこちる事の無いようにひたすらがむしゃらに前進してきました。そのために自分を変える事が可能だと気付いたからです。私が前に進むのを会社が邪魔するような時にはためらう事なくその会社を辞めて、もっと前に進めるような会社へと転職してきました。

もちろん挫折は星の数ほど味わいましたし、人知れず泣いた事もありました、その度ごとに何とかかんとか立ち上がり、少しずつでも前へと進んできたつもりです。

自分の実力は自分が一番知っているはずなのに、壁を乗り越えるつもりで、自分の実力以上の事に挑戦しては、挫折することの繰り返しでした。そのために投げ捨ててきた物もいっぱいあったと知っています。それでも前に進みたいと願ってきたのです。しかし、最近体調不良になる事が増え、それは無理に仕事をしてきたために、体にも精神にも疲れが溜まって来たためである事を最近自覚しました。

思いっきり仕事をして、思いっきり遊ぶ。と言うのがポリシーだったつもりだったのが、疲れて遊ぶ事が出来ないのです、と言うかその気になれないのです。大好きなバイクもギターも触るのが億劫になってしまって、やっと今立ち止まって見ようと思っています。

やっと一番ひどい所は通り抜けようとしています。ギターも以前弾いていましたが、まだどこまで行けるか突き当たる所まで行った事がありません。バイクもそうです、ギターにしろバイクにしろやって見たい事はまだまだあります。年も取り以前のより体の性能もおちていますし、頭の方も衰えては来ています。でもしょうがない生き物なのだから、やっと人生の半分まで来た所。これからももっと可能性は追っかけて行きたい、ペースは落としてもう少しのんびりやろう、20年も走り続けて来たのだから二十歳の頃と同じパワーはもう出てこない、でもそれが当然なのだから。

ギターだってもっと上手くなりたい。プロになるわけじゃないし今からはそんなことは不可能に近い事は分かっている。でも楽器でもって音楽を自ら発するのはとても楽しい事、聴く事も楽しいけれど、自分でやったらもっと楽しい。そんなことも忘れるほど、ギターから遠ざかっていました。ギターは悪く言えば潰しが利く楽器です。その気になれば一人でも出来る。一人でハーモニカ吹いて、ギター弾いて歌う事も出来る。もちろんバンドを組んで、みんなで演奏するのはもっと楽しい。

バイクももっともっと楽しみたい、昔みたいにぶっ飛ばしては走れないかもしれないけれど、バイクの楽しみ方はもっともっとあるって知ってます。もっともっとバイクに乗りたい。昔貧乏だった頃100円あったら1?も入らないのにガソリン入れて、ほんのちょっとしか走れないのにそれでも走ってました。いまならそんな時に比べたら全然楽なのに、頭と体が疲れて乗れない。それじゃもったいないですよね。もう少し楽しむ事に貪欲になってもいいのかもしれない。ただ走るだけでも楽しいのだから。毎年バイクに乗って反射動作を確認している。若い時に比べると反応時間が倍くらい遅くなっている、でもそのかわり何十万キロも走ってきた経験がある、無茶をしようというんじゃない、楽しければそれで良いのだから。

昔から自分は人より能力は劣ると思ってきました。一心不乱にやって始めて人並みになるのだと思っていました。でも20年以上も走り続けて、ふと回りを見ると一緒に走っていた人たちはもう誰もいない事に気がつきました。すこしでも追いつきたいと思って追っかけていた人の背中はもう見えません。みんな居なくなってしまいました。

変わろうと努力する事は無駄では無かった。変わろうと努力する事は変わらない事でした。変わろうとしなかった人たちはみんな変わってしまいました。だからこれからも変わろうと努力して行こうと思います。走らなくてもいいから、歩いてもいいから、少しずつでも前に進みたい。

こととねさんの「可能性について」を読み触発されて書いてしまいました。

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この記事を書いた人

もとメンエス店長、今は別な仕事になりました。
ぽちぽち書きます。

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